top of page

Youth Work

青少年団体「少年団(健民少年団)」と大阪の青少年活動の歴史とについて、集めた資料を整理しています。

youthwork.jpg

中学校に入り、学校のクラブの位置づけで堺市少年団の分団があり、ボーイスカウトに関心があって入部しました。テントを張って飯盒炊さん、キャンプが中心の活動と全国大会として加盟している都市で開催されていました。ジャンボリーのようなものです。中学2年生の夏休みは新潟市で開催され、弥彦山でキャンプしました。少年団での活動が私の原点の一つです。堺市少年団は1980年代には衰退しその後はスポーツ少年団の一部になっていったようです。私が中学高校と活動した時期が盛り上がっていた時期でした。同期のメンバーだけなく、多くの先輩や後輩の古流がその後の人生でも繋がって今日まで至っています。メンバーとしてリーダー・ボランティアとして、そして職業としてキャンプ活動に関わった経験から「少年団」とは何だったのか?をいずれ調べてみたいと考えていました。丁度、昔の少年団メンバーの集まりを開催することになり、この機会にと思い立ち調査をはじめてまとめてものが以下です。

​  堺市少年団の歴史を探る

  ②堺市少年団の歴史と想い出(2018年少年団&てんとう虫みんな元気にやってる会)

  ③堺市少年団年表

大阪の青少年活動の歴史

 

中学2年生で英語クラブに所属していた時、アメリカの学生グループとの一日交換会に参加した。和泉市の信太山キャンプ場で野外炊さんを一緒にし、ホールで自己紹介やゲームを楽しんだ。大学時代、キャンプ場にアメリカからの学生が日本のメンバーと一緒に造ったキャンプファイヤー場があったが、それがあの時のアメリカの学生だった。キャンプファイヤー場のことは、当時所長であった松田稔先生の著書「ザ・キャンプーその理論と実際」(1978、創元社)にも書かれている。

青少年活動は、青少年教育として社会教育の範疇であったり、非行対策や健全育成として教育行政以外でも展開されている。私が育った堺市少年団は教育委員会青少年教育課が担当していた。

1991年に当時の大阪府教育委員会社会教育課が「大阪府社会教育の40年」を発行された。同のじ年に「青少年教育行政史年表」を繁内友一先生が出版された。青少年活動とキャンプは密接な関係で歩んできたことは確かであり、キャンプの歴史や少年団の資料を集めることから青少年活動の歴史を検討してみようと考えていた。

1946年9月に文部省次官通牒「青少年団体設置並ニ育成ニ関スル件」を受けて、地域青少年団体結成が促進される。全国的な組織や都道府県単位の連合体・協議会の設置も進む。1949年には社会教育法が制定、この頃から大阪においてもYMCAやボーイスカウトなどの戦前からの歴史を持つ団体などが組織を新しく整備して活動が始まる。戦後の青少年活動の大阪での歴史をまとめてみました。

戦後の大阪での青少年活動の歴史を整理

bottom of page